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100年先の地球を見つめて
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俺は、君のためにこそ死にに行く
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俺は、君のためにこそ死にに行く 【5月12日(土)ロードショー】
『男たちの大和』『硫黄島からの手紙』に続く待望の映画


 知覧町は[薩摩の小京都]と言われ武家屋敷跡が残るのどかな地です。この地が太平洋戦争末期、特別攻撃隊=いわゆる神風特攻隊、の発進基地となったところ。今から10年ほど前、会社の慰安旅行で訪れたことがあります。館内には多くの平和を願う何千羽の鶴がありました。
 
 鳥濱トメさん、という人の名前を知ったのはその時案内してもらったバスガイドさんから聞いた時です。彼女は「特攻の母」と呼ばれ、軍指定食堂「富屋食堂」で出撃前の特攻隊員を「母親」役として何人も見送った人だそうです。若き特攻兵は三角兵舎で1週間ほど過ごし、爆弾を積んで飛び立っていったそうです。日本本土のお別れの目印が九州最南端にそびえる開聞岳でした。死の旅立ち前の若者を見送る立場の辛さとそこで展開された人間模様は筆舌に尽し難いことだったでしょう。

 日本の敗戦後、知覧は軍事基地のあった場所であることから、アメリカ軍による基地解体が進められました。既に九州上陸後、アメリカ軍兵士の素行の悪さが問題となっていました。そこで知覧の警察は鳥濱トメさんに若い血気盛んなアメリカ軍兵士の持て成しを依頼に行ったそうです。今まで戦ってきた敵を、日本の若い特攻兵の死の旅立ちを送ってきたトメさんが、よりによってその敵であった相手を持てなすとはなんという皮肉なことでしょう。そうすることが知覧の女子・子供への危害を防ぐことであれば、とトメさんは引き受けたそうです。さぞかし肝っ玉母さんであったのでしょう。アメリカ兵もなつき、彼女を囲んでアメリカ兵が笑顔の写真が残っていたとのこと。そんな彼女に、町の人はあっちこっちについて、と本人の心の苦しみを理解せず批判した人もいたとのことです。トメさんは毎朝、日本の若者が飛び立った滑走路跡で祈りを欠かさなかったそうです。
   
 今日の私たちでも、現実には理想通りに行かないことがたくさんあります。そしてそこには感情も入り、論理では割り切れないことばかりであるとおもいます。みんなで一緒に仲良くやろう、と言っても現実はそれほど甘いものではありません。時には意見の合わない者と対立して事を進めていかなければなければならないこともあるでしょうし、あえて火中の栗を拾い、意見調整しなければならないこともあることでしょう。
  
 トメさんはそのうえに愛の結果でもなく生まれてきたハーフの子をその母親と共に引き取るなど、「知覧の母」たる姿勢を貫いたそうです。若くして散っていった特攻兵、彼らを見送り続けたトメさんを想うと、私たちは2度と戦争という悲劇を起こしてはなりません。

 知覧の母、いや日本の母なるこのトメさんは、死を目前にした何人もの人たちに安らぎの手を差しのべて、平成4年4月22日、桜が散ってしまったあと、89歳でこの世を去りました。

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プロフィール
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年齢:
117
性別:
非公開
誕生日:
1906/10/06
職業:
芸能
趣味:
ピアノ
自己紹介:
生年月日 1906年10月6日
出身地 岐阜県
血液型 A型
身長 160cm
スリーサイズ B78cm,W58cm,H83cm
好きな食べ物 和食
好きなスポーツ バスケットボール
特技 ピアノ

★出演映画一覧
● 山崎 貴監督作 「ALWAYS 三丁目の夕日」 星野六子役 出演(2005/11/5公開)
● 堤 幸彦監督作 「TRICKトリック -劇場版2-」ゲスト美沙子役(2006/6/10公開)
● 麻生 学監督作 「着信アリ ファイナル」 主演決定!!(2006年初夏公開予定)
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